「最近、仲悪いの?」と彼の親友に聞かれました。
そういうわけではないのだけれど、告白されたよね、と話をしたら彼は不機嫌な顔をしてそれからあまり今までのように頻繁な連絡やデートに行くことがなくなってしまっただけなの、と話しました。
親友の彼はめずらしく怒っていました。
はっきり勘違いだよ、といえば済むことなのに、と。
ヤキモチ妬かれて嬉しいとでも言ってくれば仲もすんなり戻るだろうに、とため息をつくのです。
私は「確かにそうね」と自然と笑みがこぼれました。私の為に親友を叱ってくれる彼がとてもあたたかくみえました。
「俺なら泣かせないのに。どうして彼なの?」
突然そう言われた時は頭の中が真っ白になりました。
俺じゃダメ?そんな定番の言葉を自分が言われることになるなんて。
そして、その言葉を待っていた自分がいるなんて。私は心臓が高鳴りました。
相談をしていくうちに私の心はいつしか彼から、親友の彼へと動いていました。
彼に会うために話をするために、聞いてもらうために。彼との時間を持ちたいが為に、私はいつしか彼が告白された話をネタに親友の彼と話せることを楽しんでいたのです。
その後、彼とは別れ、親友の彼と付き合うことになりました。
同棲した今では彼とは二人とも絶交状態で会ってもいません。
姿を見つけてもお互いに避けあうようになりました。
それでも、私は今の彼と一緒に暮らせて幸せと思います。
人生では何がどう転んで誰と付き合うことになるか想像もつかないほどの縁があるのではないかと思います。
誰かを振り向かせるのにかかせない強引さについて
誰かを好きになって、しかもそれを自分のほうに振り向かせるには、多少強引さがないといけないのかもしれない。
というのは最近になってようやく至った結論だ。
自分としても、まあずいぶん学生気分を長く引きずっていたんだな、というのが感想である。
学生の頃というのは、色んなところから色んな人間が集まっている。
しかも、授業や課外活動、サークルに部活、といった要素により、自分で努力しないでも新しいコミュニティーに所属することができた。
だから必然的に出会いも多いのだ。
言い方は悪いが、下手な鉄砲も、というくらいの確率の話。
それが社会にでると、驚くほどに出会いというものが激減する。
逆に、社会に出てからの出会いというのはよりビジネスライクなものなので、そこから個人的な付き合いに持っていくには、相手が異性であろうと同性であろうと、自分が努力してその場を設けていくしかない。
学生の頃のように、待っているだけでどうにかなったものとは違うのだ。
それに、毎日会えるわけでもない相手の人と親密な関係に持っていくには、ほんとうに強引さがないとただの知り合いどまりである。
ただ、強引というのはなかなか勇気のいることではある。
例えば一方的に会う約束を取り付ける、というのもそうだし、しつこく何度も連絡を入れる、というのもそうだ。
とにかく相手の反応に一喜一憂しない強い心が必要なのである。
けれども余りにもリスキーな行為なのも事実。
相手の気持ちお構いなしに振り回すのだから、上手くいく確率より失敗する確率のほうが高い。
と私は思っている。
だから、そういうビジネスの関係から結婚までこぎつけたカップルというのは尊敬する。
きっとどちらかの強引さが身を結んだのだから。